NATIONの意味


古典古代

 英語のnationの由来であるラテン語のnatioは、古代ローマ世界で同じ地理的領域出身者の外国人集団を指していた。そして、natioは、相似した意味をもつ古代ギリシャ語のethnosと共に自分たち以外の集団を軽蔑的に指す意味を持っていた。
 peopleの語源について。ローマ人民としてのpopulusは誇り高きローマ市民の集合体であったが、軽蔑的な意味も持っていた。というのも、populoは、荒廃させる、略奪する、破壊する、駄目にするなどの意味を持っていた。人民あるいは平民という言葉には、それが貴族層などとの比較において庶民を現すと同時に、無知で強欲な下層の群集という意味も負っている。

中世における展開

①大学における使用法
 ここでは、軽蔑的な意味はなかった。次第に単に地域性のみならず、学問的論争の際にそれらの人々が共有する意見や目的によって特徴付けられる共同体の意味をもつようになる。

②ローマ教会の宗教会議における意見を同一にする党派を指す用法
 大学は教会の知的訓練と権威の中心であったため、大学の中での意見の相違は、宗教会議での意見の相違に引き継がれる。

③エリートを指す意味
 フランスでは、平民と区別された高位貴族や聖職者などnationであった。
 後期中世ハンガリー王国において、「ナティオ・フンガリカ」のナティオとは、議会参加権・立法権・公職に付随する身分・政治概念の中心とした特権身分社団の総称であった。

④聖書における用法
 ウルガタ聖書の新約の中で、natioはギリシャ語のethnosの訳として7回用いられている。
 natioの英語への翻訳も、異邦人などの意味を残しつつ一般的に「親族や言語の共同体に関連して」使われている。つまり、限定された「エスニック」な含意を持っている。このような用法における語義は、近代と異なる中世におけるnation概念の限定的な意味内容に相応している。

近代

 nationという言葉が大きな動員力を獲得し、政治思想の上でnationalismと結びつくのは、近代世界の形成過程においてであった。

国民(nation)主権を人民(people)主権に引き寄せて解釈し、直接的で拘束的な代表を実現する方向。
一層の平等化と均質化、普遍原理に基づく境界線の確定に繋がり、普遍主義的な自由主義的あるいは民主主義的nationalismを展開させる。


nationを抽象化し具体的な民衆から引き離し、歴史的抽象的なあるいは社会階層的限定をつけて概念化し、かつ間接的非拘束的代表原理によって統治者の自立性を維持する方向。
歴史と伝統の担い手としての特権層を重要な担い手として維持しつつ文化的nationalismを核として展開する。

 この二つの方向は、nationと平民・人民との関係、nationと普遍的人権との関係をめぐり戦わされる。
 そして、「文明」と「文化」、「国民」と「民族」といった対概念の対立の表現にも連なってくる。

ただし、ここでいう「国民」は、中世の特権的閉鎖的階層にのみ限定されていたのとは異なり、people的な意味内容が重ねられている。そこで、その民衆的「国民」的意味内容がどのように描かれるか問題である。
 これは、「普遍的人権」を実現するとするヘゲモニー国家の暴力的な特殊性と、特殊な歴史的伝統を強調して文化の多様性の維持・尊重を主張する普遍性という二つの型の対比としても描ける。この意味で、近代国家権力の二つのイデオロギー的正当性の展開として追うことができる。

(1)マッツィニとルナン

 マッツィニは、特権階層による既存政府を攻撃し、nationの統一を社会の民主主義的変革と一体のものとして追求し全イタリア民衆に呼びかけた。「人民の国は、自由な人々の投票によって定義され、王たちと特権カーストの国々の廃墟の上に立ち上がるであろう」

 ルナンは、nationの存在は「日々の人民投票」なのだという。この「日々の人民投票」というフレイズは、nation概念における、種族、言語、宗教、利害の共通性、地理などの規定性を否定し、人民の「過去において共通の栄光を、現在においては共通の意思」の規定性を主張するものとして引用される。

(2)フィヒテとヘルダー

フィヒテはナポレオンによる征服下でドイツのnation-buildingを呼びかけた。
「喜んで」、「嫌が」っても「強制」によって、命を捧げることが求められる「炎」は、「民族そのものである民族、すなわちドイツ人」に宿る。この特殊性は、ドイツ語によって保障される。
 フィヒテによれば、第一に言語の一致によってnationが定義されなければならない、第二に、言語の純粋性は、混交によって汚される、したがって第三に、言語の一致する民族がnationとして国家形成の基盤とならねばならない、第四に、ドイツ語は純粋な「始原的」言語であってこの点で他のnationに対して優越している。

 以上のような内容はヘルダーを代表とするロマン主義思想家によって切り拓かれてきた伝統に依拠していた。ヘルダーの思想は、啓蒙主義に含まれた人類の普遍主義的進化論的発想に対する拒否、言語を中心とした多様な民族性・個性の固有の価値の尊重、文明の名による「遅れた」とされる民族に対する支配への嫌悪、帝国的複数言語・複数民族国家への激しい批判等に特徴付けられる。が、ヘルダーにはドイツ民族の優秀性という主張はなかったし、暴力的手段による民族統一、劣った民族の支配・教化、他民族との闘争のための国家強化という思想もなかった。

5、現代の論争

(1)民族自決

 nationが単にstateを担う民のことであれば、nationはどんな国家にも存在するが、nationが民族を意味するとすれば、それは形成されなければならない。そして次のような問題が起こる。

 ①1つの国家の中に2つ以上のnationが存在する場合
国家を形成するまで発展していない、と考えられる人間集団は、nationではなくtribe(あるいはethnicity、ethnic group)と呼ばれる。つまり、national minoritiesは、ほぼ必然的にnation資格を奪われる。

 ②1つの国家に入りきらない同一のnationがある場合
多くの国では、国境をまたいだnationあるいはtribeの生活基盤が存在している。一般にnationの同質性は常に疑わしく、かつ常に意識的努力によって形成され維持されようとする。一方で同質性は、現在国家を構成している事実によってあることが想定され、想定に合わない現実は無視あるいは排除される。他方、核となる国家がnationを担う場合には、国境の外に住む同じnationの国家的統合という政治主張が声高に語られたりもする。その帰結は膨張主義による戦争である。

 ↓

民族自決権は「人民の自治」権と翻訳され直した上で、多民族国家の現実と共存されえる形態においてのみ、正当性を維持することができるだろう。

(2)多文化主義

「多民族連邦主義」と「移民多文化主義」の承認
①国内の地域的に集住していたり、支配的nationが征服・侵入した地域の先住民であったりする人々に対して分離・自治などの広範囲な政策オプションが次第に認められつつある、という点。

②移民に対する多文化主義的統合形態が認められつつあるという点。

↓ このような変容がnationの語義にどのような影響を与えているか。

OEDでの第一の語義
Ⅰ人民(a people)あるいは、人々(peoples)の集団、政治的国家
1.a.共通の先祖、言語、文化、歴史、同じ領域の占有などの要素によって区別された人民(people)を構成する統一した諸共同体(communities)および諸個人の大きな集合体。今ではまた、政治的国家(a political state)を形成している民(people)、政治的国家(複数形において初期の用法では国country)

 「今では」「領域、政治的統一、独立」がますます重視され、「人種や共通の祖先」などを強調するのは時代遅れになりつつある。現代では、nationがstateやpeopleに近づくにつれて、nationからethnicityの意味が取り去られていきつつある、と言えよう。