「国民」という言葉の意味深さ
nationの訳語
nationという言葉は、少なくとも三つの翻訳語に対応する。すなわち、国民、民族、そして国家である。そして、三つの翻訳語の使用は、決して一貫していない。
日本国憲法における「国民」という訳語
日本国憲法における「国民」は、10条を除き、the peopleあるいはthe Japanese peopleと英訳されることから、「国民」ではなく「人民」と訳せる。とくに「第三章 国民の権利及び義務」は、Rights and duties of the peopleであるから、「人民の権利及び義務」と訳せる。
当初GHQ草案にあった「We, the Japanese People,」という部分は「我等日本国人民ハ」と自然な形で翻訳されていた。しかし、人民主権を不明確にするために、日本案の提示を経て「国民」という言葉が採用された。
国民概念の意味
国民概念について、日本国憲法の解釈上、三つの意味が取りだされている。第一に国籍保有者、第二に主権者としての国民、第三に有権者である。
このうち、第二の主権者としての国民概念は、概念構成上決定的な位置を占める。というのも、主権者としての国民概念には、憲法制定権力の担い手としての国民概念と結びつく。さらに、政治共同体を樹立し生きるという意志を表現することが可能な統一性の観念にも結びつく。この統一性の観念は、第一の国籍保有者の境界線を区切る際の理念として、また、第三の有権者の総体の範囲を決定する際の理念として機能する。したがって、デモスの自己定義が、概念構成上の範囲を定めることになる。
ギリシャ語の「デモス(人民)」は「民主主義(デモクラシー)」の語源とされている。
デモス=人民??
憲法制定権力としての論理的に前国家的な「国民」主体はpeopleということになってしまう。peopleを国民とすることで否定的な意味作用が生じてしまう。
憲法制定権力としての「国民」主体
本来、この憲法制定権力としての論理的に前国家的な「国民」主体は、peopleなのであってnationではない。
国連憲章では、「人民の同権及び自決の原則」(the principle of equal rights and self-determination of people)や、「人民がまだ完全に自治を行うに至っていない地域」(territories whose peoples have not yet attained a full measure of self-government)という表現が見られるように、論理的に前国家的な存在としての人民が想定され、その人民が一定の時点において政治共同体を樹立する可能性が表現されている。
なぜnationが使われていないのか
それは第一に、peopleを一義的に民族あるいはエトノスとして定立することはできないこと。第二に、国家の存在を前提とした上で参政権の主体としての国籍保持者としての国民を語るのではなく、国家を樹立する主体としてのpeopleが論理的に先行するということ、を表している。
peopleを国民とすることの否定的な意味作用
民主主義の要件
まずダール(Robert Alan Dahl)の民主主義的な政治制度の具えるべき6要件のうち最後の要件をみる。「包括的な市民権の付与」(inclusive citizenship)として「その国に永住的に居住しその法に従う成人は誰でも、市民が手にすることができ、かつ上述の5つの政治制度にとって必要とされる諸権利を否定されることはあり得ない」としている。
次に、このダールの要件を日本国憲法下で説明するとどうなるか。浦部法穂(『憲法学教室』)は「『国籍』が先にはっきり決まっていて、その国籍保有者を主権者とする原理として『国民主権』が唱えられたわけではなく、まさに、『国民主権』原理に基づく統治機構のもとで主権者の範囲を確定する前提として『国籍』の明確化が必要とされたのである。単純に図式化していえば『国籍』が『国民主権』の内容を規定したのではなく、『国民主権』が『国籍』の内容を規定した」とし、「『国民主権』原理の『国民』が具体的にどの範囲の者を指すかは、どの範囲の者が主権者であるべきかによるのであって、当然に『国籍保有者』に限られるというものではない」といっている。
「国民」という言葉の制約を受けて、ダールの主張と同一の趣旨が困難な形で表現されている。
民族主義的な同一化への回路
ナショナリズムの歴史を一見すれば明らかなように、特に対外危機を媒介として決定的に、「国民」の一体的同質化のプロセスは強化されてきた。
「国民」をできるかぎり「人民」概念で代替することが、ナショナリズムの民族主義的な強制的同一化を弱める方向につながる。
“「国民」という言葉の意味深さ” に対して1件のコメントがあります。
コメントは受け付けていません。